2015年10月31日土曜日

No title No.3

お世話になっている教授が主催するシンポジウムのスタッフとして働いてきた。

(写真はボストン大学)

誰かが専門用語を口にするたびに、聴衆は「うんうん、分かる分かる。知っていて当然だ!」とオーバーに首を縦にふる異様な光景が見られ、学問に生涯を捧げる人々の、プライドと意地が終始ぶつかり合う壮絶な場であった。

そのあとの懇親会で、大学2年生のときに英語を教わっていた先生と偶然お会いした。

「あの、先生の授業受けていたんですけど、覚えてらっしゃいますか?」

勇気を出して尋ねてみると、

「ああ、うっすら覚えているよ。あのときとは髪型も違うし、化粧も上手くなったね。」

と、化粧道具と言えば下地とアイシャドウしか使っていない顔に向かって言われたので、2年前はどんなにひどい化粧顔をお見せしていたのだろうかと申し訳なく思った。

ちなみにブログのプロフィール画像はちょうど2年前の当時のものなので、早急に変更したいと思う。

話題を変えようと思い、

「そういえば、あの当時読んでいた、E・H・カーやハロルド・ニコルソンの文章はとても難しかったのを覚えています。」

と、彼方にあった記憶をかろうじて呼び起こして言うと、

ニコルソンの奥さんってレズビアンだったんだよ。しかも相手はウルフ。」

とあまりにも予想外の返事が返ってきた。

「え、でもハロルド・ニコルソンはゲイではなかったんですよね?」

と咄嗟に質問すると、

「いや、彼もゲイ。文章読んでてゲイっぽいなって思わなかった?」

と突っ込みどころ満載の返答をいただいた。

学術書を読んで、著者が同性愛者だと分かるレベルにはわたしは達していないようだ。(別に達したいとも思わない。)

先生との会話のおかげで、その当時のイギリスのゴシップやスキャンダルをもっと調べてみたいと思ったが、全世界の大学教授のコミュニケーション能力を数値化したいとも思った。



2015年10月30日金曜日

No title No.2

シュウウエムラ×メゾンキツネの華やかなパーティーに友達と行ったのだが、会場に入って5分で帰りたくなってしまった。


そこにいる大半の女の子たちは、これでもかというほどファンデーションを塗りたくっていて、厚化粧とド派手なファッションによって他人とは異なる個性を持っていると思い込んでいるんだな、と一目瞭然で分かったからだった。

実際は、流行を作り出そうとする企業の優れたマーケティング戦術や市場操作が渦巻く同一世界の中にいるから、そのお化粧もコーディネートもどれも似たようなものにしか見えず、言ってしまえばみんな同じ顔、同じ体に見える。

それなのに、「自分は他人とは違う、唯一無二の見た目をしている」とドヤ顔で闊歩している同世代の人たちを見て、少々気分が悪くなってしまったのだった。

更に嫌悪感を増したのは、何より自分がその中の一分子として混じっているという事実だった。
そのような女の子たちに囲まれていると、自分も「自分の顔のない」人間なのではないかと不安になった。

最低限のメイクや服装で済ませられるように、素肌や筋肉を磨かなきゃいけない。
それで、なるべく自分を消さないようにしなきゃいけない。

と思いながら、そそくさと会場を後にした。

2015年10月29日木曜日

No title No.1

29日の夜は少人数セミナーの食事会があって、そのために大学へ行ったようなものだった。

(写真はイメージ)

なかなか個性の強いメンバー揃いで、例えば、「崩されるとも思われていない予定調和を崩すのが大好き」と言うTちゃん。

どういうことかと言えば、「ショートヘアでボーイッシュな見た目のわたしが、いきなり長髪のウィッグして付け睫毛して授業に行ったら、そんなの誰も想定していない予定じゃないですか。そういうのを壊すのが大好きなんです。」とのこと。

そして、Kちゃん。
彼女に、 「教授に「こんなに汗かいててすみません」っていう断りを授業中にした人はKちゃんが初めてで、友達になりたかったんだよね」 と心の内を告げると、自分のことにも関わらず腹をかかえて笑ってくれた。仲良くなれそうだと思った。

「芸能人だとどんな人が好み?」という話になって、わたしが初めに西島秀俊さんです、と答えると、Kちゃんは野口五郎さんと答えた。
教授以外の学生メンバーははっきりと彼の顔が浮かべることができなかったので、「今どきの人で言うと?」と聞くと、キムタク、という答えが返ってきた。
突っ込みたいのをぐっと堪えて、「正統派が好みなんだね」と、教授がまとめてくださった。

そのあとTちゃんが「わたしはマツコ・デラックスが好きです」と言い始めるし、まともだったのは「五郎丸選手」と答えたSちゃんしかいなかった。

最後、デザートに注文したブルーベリーソースがかかったチーズケーキがあまりにもチーズチーズしていて、チーズにベリージャムをかけて食べるフィンランドの習慣を彷彿とさせたので、隣のKちゃんにあげた。
「え、神様なの?!」と感動されて、今日ゼミで勉強したアガンベンの「ホモ・サケル」が頭を過ったので、わたしもちょっと変になったかなと思わずにはいられなかった。

高額な会計の3分の2は教授が支払ってくれたけれど、これが女性の教授だったらどんな会計分担になるのか想像した。
日本社会で男女平等が実現するのはまだまだ遠い未来になりそうだと思った。

帰り道、Kちゃんに「最近何にはまってるの?」と唐突に聞かれ、
同じことを聞いてほしいのかなと思い、「はまってるものがあるの?」と聞き返すと、 「大河ドラマの、龍馬伝。」と言われ、何年前に放送してたっけと思うと同時に、やっぱり正統派が好きなんだと思う以外は何もなかった。

2015年10月27日火曜日

SNS疲れの原因と解決法

みなさんこんばんは。

最近のわたしはと言えば、週に2度だけ大学に行き、空いた時間は友人や家族と過ごしたりダンスのレッスンを受けたり、と至って標準的な大学生の生活を送っています。

これだけ書くと、なんてストレスフリーな生活!と思われるかもしれません。
しかし、どんな生き方をしていたって悩みはつきもの。人間だもの。

そのうちの一つがSNSによる疲弊です。いわゆる「SNS疲れ」ってやつです。今更かよって感じですが。


わたしの場合、その主な原因となるSNSはFacebookのMessenger。
これ、「何時何分に既読」と表示される上に、「友達」が今オンラインだとか、何時間前にオンラインだった、とかいう情報も表示されてしまうのですね。
言うまでもないですが、同じように自分のアクティブ情報も相手に知られてしまいます。

LINEは未読のまま無視しても、 Messengerのように何時に読んだとかアプリを開いたとかいう情報が(今のところ)表示されないのでまだ良いのですが、

このMessengerってやつは、未読のまま放置しておくと、相手に「そういえば◯◯から返事来ないな…。(Messengerを開く。)え!◯分前にオンラインってなってる…わたしからのメッセージ無視されたんだ…。」
と図らずも打撃を食らわすことになります。

さらにその後Facebookを閲覧して、メッセージを送った相手が写真を投稿していたりすると、「返信してからにしろや!」と、さらにマイナスの感情が増すわけです。

相手は忙しくて返事を書けなかったのかもしれない。
たくさんメッセージが来ていて自分のメッセージが受信箱の下のほうに行ってしまっているのかもしれない。

でも、何かまずいことを送ってしまったのかもしれない。
という不安は拭いきれず、そわそわした時間を過ごすことになるわけですね。(フィンランド留学中何度も経験済。)

しかしよく考えてみれば、お互いに信頼している友達であれば、そんな簡単に嫌いになったりしません。

つまりSNS疲れの原因は、「仲が悪くも良くもない」「心から信頼できない」中途半端に広がった人間関係が生み出した情報社会の産物だったわけです。ただそれだけだったわけです。

漫画家の小池一夫さん(@koikekazuo)がTwitterで、


と呟いておられて、ぴんと来ました。

SNS等を活用して見境なく広げた中途半端な人間関係は、人を雑に扱う機会(または雑に扱われたと勘違いさせる機会)を明らかに増加させている。
一方で、雑に扱われることを好む人間はいないという事実は変わらない。

Facebookでこんなに「友達」が増えた今、コメントやメッセージを返し忘れたり、誕生日のお祝いの言葉を送り返せなかった、ということはかなりの頻度で起こることだと思います。

しかし、それによって相手は「雑に扱われた」と心を痛めているはずです。
言うまでもなく、自分も同じように傷つく可能性も大いにあります。

この先友達になるつもりのない「友達」なら、滅多に会うことがなくなった(SNS上でしか関係がなくなった)時点で「友達」をやめたほうがお互いのためかと。

自分が大事にしたいと思う繋がりさえ、常に気にかけることは難しいと感じることは多いのは事実。(家族など。)

グローバル化や留学が推奨されている今、人脈も世界に広げることが善しとされている時代ですが、

自分を身近でサポートしてくれている人さえ大事にできない人が大した繋がりを生み出せるでしょうか。
到底無理だろうと思います。

だから、「あ、この人は思いやりの枠内に自分を入れてないな。しかももう会う機会ないだろうな。」と分かった時点でがんがん繋がりを切っていけばいいんですね。せっかくできた外国人の「友達」にその決断を下すのは辛いかもしれませんが。

それでも、送信したメッセージがぞんざいに扱われて不安になってしまうような相手なら、それが分かる良い契機だったと思えばいいんです。
(そもそも時間を表示させる機能は不要ですが。)

現実世界でもSNSでも手に負える範囲のお付き合いが良さそうですね、
という結論で悩みは無事解決に向かいそうです。
そもそもたかが意思疎通の道具に感情を左右されるなんてまっぴら御免。

同じ悩みを抱えている方々の参考意見になれば嬉しいなと思います。
それではまた。

2015年10月4日日曜日

メキシコ旅行を楽しくするTips

お久しぶりです。

実はメキシコから帰国してもう2週間ほど経ちます。


もう全てが想像を超えていたメキシコ。
あまりにも日本との相違点がありすぎて、どのように整理したら良いのか分からなかったため、滞在記を書くことを放棄しておりました。

しかし、先日母親から「(ブログを書かないままでいたら)メキシコで息絶えたと思われるかもね」と言われ、

「いや、生きてます」というメッセージも込めて、3週間半の滞在のまとめを書くことを決心しました。

知っているスペイン語は「Gracias(ありがとう)」のみ、という状態のまま、いきなり訪れたメキシコ。

みなさんが今後中南米に行ったときに、より楽しい思い出を作るために備えて行った方が良いものを以下に4つ挙げます。

全て、わたしが犯したミスを踏まえた実践的なアドバイスなので、ぜひ参考にしてみてください。


1.スペイン語

はい。迷うことなくこれが一番です。

特に、わたしが滞在していたのはZumpangoという、メキシコシティから車を1時間半ほど走らせたところにある田舎町で、英語を話せる人はほぼ0。

行く場所行く場所で「¿Hablas español?(スペイン語話せる?)」と聞かれ、「No...」と答えると、
「え、話せないのになんでここ来たの?」と言わんばかりの驚いた顔をされ、その度に心を痛めることとなりました。

さらに、ステイさせてもらっていたメキシコ人の家族(知り合いの知り合い)との意思疎通はGoogle翻訳に頼り切るという状態。お互い声が出せるのに筆談。

しかし、そのGoogle翻訳もWi-Fiがないところでは無力。
その場合何が起きるかというと、わたしが知っている乏しいスペイン語語彙と顔の表情でのみコミュニケーションを図ることとなります。

以下、Gracias以外にわたしが自発的に話せた主なスペイン語文となります。
  • Sí./No. (はい。/いいえ。)
  • Quiero comer. (食べたい。)
  • Quiero dormir. (寝たい。)
以上。赤ん坊程度の意思発信ですね。(実際に「赤ちゃんみたい」と言われた。)

こんな状態で快く受け入れてくれたファミリーに心から感謝せざるを得ません。

都市や観光地だったらもう少し英語が通じると思いますが、メキシコの40歳以上の大人は英語が苦手で、全く話せない人が大多数だと感じました。
かなり訛りは強いですが、きちんと教育を受けている高校生〜20代は大体英語が通じます。

ローカル色の強い大人とも話したい!ともなればスペイン語は必須となりますので、可能な限り勉強して行かれることをおすすめします。


2.お酒の許容量

テキーラなどの強いお酒で有名なことからも想像できる通り、メキシコ人は日本人よりもアルコール耐性があります。

パーティーに呼ばれたものなら、物珍しい日本人はまずテキーラのショットをご馳走され、その後もメキシコ産の強いお酒を勧められる機会が多いかと思います。飲むと喜んでくれるので、ある程度飲める人は日本で強いお酒を嘗めておきましょう。


どうしても飲めない、という人は頑なに拒否してください。
夜に途中で意識を失ったりすれば、日本のように安全に帰路につける保証はありません。
特に女子は細心の注意を払いましょう。
わたしは幸い(?)ザルなので、終始隙を見せないことに集中し、危ない目に遭うことはありませんでした。


3.サルサ

メキシコ人はお酒を飲んで気分が良くなると、音のあるところであればどこでも異性を誘ってダンスし始めます。

男性はリードしなければならないので少し難しいかもしれませんが、
女性の場合は少しサルサステップを覚えていくだけでも、男性にリードを任せ楽しく踊り続けることができるので、事前にYoutubeなどで勉強しておくことをおすすめします。

それに、踊っている間はスペイン語を話さなくても和やかな雰囲気になるので楽です。


4.日本食

言語の次にわたしを悩ませたものが食生活でした。

何を食べても味が合わず、今までのわたしからは考えられないほど少食になり、お腹を壊すのにも慣れた生活を送った結果、
なんと4kg弱体重を落とし帰国することとなりました。

世界一の肥満国で知られるメキシコの超高カロリーな食生活を送ってこの結果になるとは…。

後日祖父に「無事帰ってきたけど食事が食べれなくて痩せたよ…」と報告をすると、心配してくれるのかと思いきや、

「もうちょっといれば良かったじゃないか」

と衝撃の言葉をもらいました。おじいちゃん…。

それは良いとして、どう考えても日本人には合わない味のオンパレードだと思いますので、
「もう何も食べられない!VIVA日本食!」となった万一の場合に備え、メキシコ人に振舞っても喜ばれそうな、カレーなどの日本食を持っていきましょう。
自分たちのためでもあります。

以下写真に収めたメキシコ料理です。

上に乗っているのはチーズ。
メキシコ人はこの上にさらに白くて甘いクリームをかけて食べる。

食欲失せないのかな、この色。

羊肉(ほぼ生)。


羽のついた虫を調理したお菓子。
虫だと知らず食べさせられた。
(味は思ったより悪くなかった。)

つまんで持っているものもお菓子。
色がどう考えても食べ物ではない。
袋に入っているのは上の写真の虫を詰めたもの(メキシコ人完食)。
ちなみに手で食べる。

タコス。

この緑色のソース、何度挑戦しても口に合わず。

モレ。
写真では美味しそうに見える。

もう全然分かんない。

辛いスープ。

なぜ白身魚に甘いマンゴーソースなのか。
白米との相性も悪い。

灰皿ではなく、ビールです。
コップの縁についているのは唐辛子。


5.スケッチブック

メキシコ人は本当に家族のことを大事にしています。

お世話になった家族みんなの似顔絵を描いてプレゼントしたら泣いて喜んでくれました。
(スペイン語が話せなかったのでこの方法しか思いつかなかった。)

時間があれば、おすすめします。


彼らの家族に対する想いを目の当たりにして、わたしも祖父母を訪ねる回数を増やそうと思いました。


まとめ

「メキシコなんて危ない」と行くのを躊躇う人も多いかと思いますが、夜に一人で歩かないようにする、などきちんと注意を払えばそんなに心配することはありません。

わたしにとっては、言語や食べ物など、文化面での問題が多い旅となりましたが、

何より「人間形成の中核は家族」という認識を再確認した重要な契機となりました。

「家族」という存在意義を考えること、

フィンランド留学、就職活動、メキシコ滞在を経て、引き続き人生のテーマとなりそうです。

それではまた。