2015年3月10日火曜日

悲しくて涙が出るということ

わたしは留学している間に「悲しい」と思って二度涙を流したのですが、

それらの出来事以上に悲しいことに直面したとき、泣かなかったこともありました。

そこで、それらを比較して理由を考えてみました。


ずばり、悲しいことだと脳が認識した際に、涙が出るか出ないかの境界線は

「それが予想できる範囲内であったかどうか」
だと思います。

つまり、涙が出るときというのは、ある程度その事件が起きる前に頭のどこかで予想していた可能性が高い、というのがわたしの考えです。

逆に悲しいはずなのに泣けないというときは、予想の範疇を超えているため、頭の中で整理できていない状態。

とにかく何がなんだか分からない、状況が全く理解できないと、
「悲しい」ことは事実なんだけども、脳がまず一生懸命原因を突き止めようとする。

結果、長い時間そのことだけを考えてしまう状態になり、何も手につきません。
何かモヤモヤした 暗い気持ちのまま、生活することになります。
この状態は非常に深刻です。

わたしは11月中旬〜2月中旬までまさにその状態になりましたが、新しいことにチャレンジする気力も、初対面の人に会う気力もなく、ずっと家でじっとしていたいと思っていました。
でも泣けるときが来たあと、復活しました。

泣いている人を見ている方が、「大丈夫かな」と心配になりますが、
実は泣いていない人の方が危険な状態にある可能性がある、ということが言いたい。

よく「泣いたらすっきりする」と言いますが、
それは泣ける時点で、既に頭の中で整理できているからなんだと思います。

もらい泣きに関しても同じようなことが言えると思っていて、

相手が泣いている原因が理解できたり、追体験したとき、
つまり自分の考えられる範囲内であれば泣くことができるのかなと。

だから、悲しくて涙を流せたら、もう自分自身が解決に向かって動き出しているので、ポジティブに考えていいと思います。
もうそんな心配する必要ないです。あと一歩。

逆に、悲しいはずなのに泣けない、という場合は解決に時間がかかることを覚悟しなければなりません。
泣けるようになるまでひたすら考えるか、アクションを起こすか。
ちなみに、他人にSOSを発しても、他人からのアドバイスは参考にならないことが多かったです。
まあ、自分でも原因を理解する前に人に説明しているわけですから、当たり前の帰結かもしれません。

以上まとめると、
  1. 「悲しくて泣く」って実は本質的には悲しいことではない
  2. 気丈に振舞っている人をもっと気にかけたほうがいいかも
でした。

感情に関する考えを記事にするのは正直恥ずかしいのですが、個人的に好きでよく考えるテーマなので書きました。

みなさんはどう思われますか。

それではまた。