昨日、大学の最寄駅で降車した直後、京都に住んでいるはずの友人とこれ以上の偶然は無いだろう、というタイミングでばったり会った。粋な神様がクリスマスイブに小さな奇跡を起こしてくれたのかと思った。
一方、今週は合計で3度、電車内で勢いよく嘔吐する団塊世代のサラリーマンに出くわした。悪戯な魔王が見慣れた車内を三途の川に変化させるという、これまた小さな奇跡を仕掛けたのかと思った。
最近、人と会ったり、人が集まるところに行くと、「なんで今、わたしはこの人と会うことになったのだろう」と必死に考えてしまう。
偶然の出会いを分裂させようと脳が働いている。
「出会いのゲシュタルト崩壊」とでも言うべき現象が起きていると認識するのは初めての経験。
と同時に、その現象が起きているのは、それに先立ってただの偶然の出会いに「意味づけ」をしたがる人間の習性の仕業であるからにほかならないとも思う。
ゲン担ぎをしたり、占いや運命を信じたり、なぜ人間は自分に起きた現象をそのままの現象として、すんなり受け入れることができないのでしょうか。
それは多分、自分の人生にストーリーを求めているから。
伏線があればあるほど、物語は面白くなる。(それを全て回収仕切れる保証は一切ないけれども。)
つまり、ただの日常だって考え方、語り方次第で面白くすることができる。
今は、その可能性を最大限に追求するための一つの手段として、ブログ記事を書き続けていきたい。
おもしろき こともなき世を おもしろく すみなしものは 心なりけり(高杉晋作)
みなさんに素敵な物語が舞い降りますように。メリークリスマス。
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