2015年12月22日火曜日

海外経験を通して視野が狭くなった話

就活で、「留学したのは、視野を広げたかったから」と主張しまくっていた日々を思い起こすと心苦しいタイトルですが。


ここで意味する「視野」とは、主に「交流する人の範囲」のことです。

もともと、「浅く広く」を人間関係の基本としていたわたし。

友達がとにかくたくさん欲しい!、Facebookの友達は多ければ多いほうがいい!、そう思ってました。

しかし今は完全に「深く狭く」。
人数は少ないですが、その代わりにじっくり向き合うようになりました。

留学や海外旅行を通して得た経験は、その変化の重要なきっかけです。

様々な価値観やバックグラウンドを持つ人と触れ合い、
愛され、傷つけられ、を環境を変えて何度も繰り返した結果、
  1. 見返りを求めない心遣いは至上の喜びを生み出す
  2. 自分を守るために、人を傷つけてはいけない
この2点が、わたしの最も重要な、人間関係形成基準となりました。

しかし、これらを実行しようとすると、どうしても交流する範囲を狭める必要があります。

人数が多いままだと、「見返りを求めない心遣い」は雑になるだろうし、
いろんな人を相手にしているために忙しくなった「自分を守るため」に、連絡を怠ったり(例えば誕生日を忘れたりして)、無意識のうちに他人を傷つけてしまうかもしれない。

交流圏内への加入/退会については、「来る者拒まず、去る者追わず」状態。
嫌なことをされたら別ですが、流れに任せます。

まだまだ修行が足りないけれど(恋愛においては難易度アップ)、このスタンス自体には満足しています。人生なんて基本縁。


ところで、価値観についても、視野が広くなったのか、むしろ狭くなったのか微妙なところではあります。

色々な価値観に触れたというだけで、果たして視野が広がったと言えるのか?

実際、わたしはこれまで出会った全ての価値観を受け入れることはできなかったし、
これからも受け入れられない考え方に鉢合わせることは多々あるだろうと思います。

けれども、ある価値観を受け入れるのか受け入れないのか、それを決める自分のブレない価値基準は常に持つ努力をするようになりました。

基準を定めるということは、許容範囲を狭めるということでもあります。

その意味では、価値観も狭くなったと結論づけることも可能です。


とすると、「視野が狭くなる」ことは必ずしもネガティブではない?
なんて、考えてます。

「視野が広がる」という言い方は色んな捉え方があるので別として、

留学などの海外経験は自分のスタンスを定める良い契機になる可能性が高いのではないか、というのが最近思うところです。

久しぶりに真面目なこと書いてみました。

実は99本目の記事でした。

それでは。

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